建前上、国家が国王のものではなく「国民のもの」になったのはフランス革命からとされ、直後に「国民のもの」なんだから「国民で守る」ということで、国民皆兵的な徴兵制度が施行されていきます。ジャコバン独裁の頃だそうですから18世紀の末…ですね。

一方、豊臣秀吉が大名間の争いごとを禁じた法令=惣無事令(そうぶじれい)、村と村との争いをなくす喧嘩停止令(けんかちょうじれい)を出すのが16世紀末。この頃、刀狩りも行われて戦乱の世は終わりを告げ、庶民が兵役に取られることは急激になくなっていきます。そして、むごたらしい市街戦も「大阪・夏の陣」を最後にまさに「太平の世」が250年以上続きます。

ジャコバン独裁の頃といえば、日本は、田沼時代から松平定信の「寛政の改革」の頃。確かに江戸幕府も斜陽でしたが、平賀源内は今でいう「博覧会」を盛んに開催し、杉田玄白は「ターヘル・アナとミア」を翻訳。写楽を生み出す蔦谷重三郎が活躍し、曲亭馬琴、十辺舎一九、山東京伝などがベストセラーになるほどに識字率も高く、兵役も戦争もない街場は元気でした。

そういう日本を止めちゃって、野蛮だった欧米に倣おうとしたのが明治政府。そして、その政府と一体となってお金儲けに勤しんだのが「政商」といわれる人々です。

政商の代表格が三菱財閥の初代総帥=岩崎弥太郎。彼は、明治維新の戦勝側「土佐藩」の出身。そんな縁から維新政府高官から「紙幣貨幣全国統一化」の情報を得て、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知。10万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得る。つまりインサイダー取引ですが、これが三菱躍進のきっかけになります。以来、政府と表裏に歩んできました。

安部さんは、一切受験勉強をしたこともなく(つまり受験をしたこともなく)成蹊小学校から成蹊大学卒ですが、この成蹊学園は、三菱財閥の4代目総帥=岩崎小彌太が設立した学校(初代理事長)。代々の理事長は三菱グールプトップのアソシエーション「三菱金曜会」から出ています。

すでに16世紀末から17世紀初頭に戦争を止めることができた国を止め、誰をどう利用しようが、「公」を「私」しようが、「金持ちになれば勝ち」というあられもない国をつくっていった彼ら…

でも、彼らの流れをくむ政権を支持する人は今もたくさんいて、衆院選は大勝利。東京駅は大評判です。

僕は、明治以降を肯定できない部分があるんですが、みんなは気にしないみたい…

冬は深まりて、春まだ遠し…です。

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