靖国陣社に詣でる閣僚たちは「国のために犠牲になられた人の御霊」などといいますが、ならば、なぜ靖国神社には、空襲で亡くなられた方や沖縄戦に巻き込まれた非戦闘員などが祀られることはないのでしょう。
政府に協力し(あるいはさせられて)殉職された方だけが靖国神社に祀られるのは、それは神社側の意思に拠るものですが「政府に協力殉職された方」と「国のために犠牲になられた方」を同義に語ってはならないし、この国が民主主義の国というなら、兵役に就かれていた犠牲者と空襲や市街戦などの犠牲になられた方を同等に扱うべきだと思います。
政府は開戦を決定し、法律で縛って国民を戦場に駆り出し、敵の空爆に国民の命を盾にします。国民にもまったく責任がないとはいいませんが、彼らはエキストラのひとりに過ぎません。だからこそ、責任ある民主主義国家の政府が空襲や市街戦などの犠牲者を無視するのか。それがなぜ、殊更に問題視されないのか…僕にはわかりません。
今年の「8月15日」も、あと2時間ほどです。わからないまま今年の「8月15日」も終わっていきます。