な ぜ

黒木和雄監督の映画「TOMORROW 明日」(1988年)は、1945年、原爆が投下される前日の、長崎の庶民の日常を活写した作品です。原作は井上光晴さんの「明日―1945年8月8日・長崎」。1988年には、大竹しのぶさん主演で同名のテレビ・ドラマも制作されています。

当然のことながら、当時の長崎市に暮らしていた人たちは、明日、自分たちの頭上で原子爆弾が炸裂するとは思ってもみないわけです。

でも、戦争とはそういうものなのだと思います。なにしろ、庶民には戦争の開始を決定する実験はありませんし、作戦の運用もできません。ただ、攻撃されるだけだし、法律的に強制されて兵士となって戦場に赴くだけです。

だから、何も知らされません。

うちのオフクロは(戦中の生まれですが)当時のヨコハマが、原爆投下候補地、その最後の5候補の中に残っていたことを、今も知りません。故に、会議室の動向によっては、自分たちが、当時の広島や長崎のみなさんと同じ道をたどることになっていたということを、実感として恐怖するという感覚はないのだと思います。

今、東アジアの平和が揺らいできているといいますが、その平和を揺るがすことに庶民が絡んでいるとは思えません。やはり、行方を左右しているのは、その国の指導者といわれる人であり、メジャーな資本家などの人々でしょう。庶民は、戦場に動員させられているか。人間の盾にされているか。いずれにせよ。どの国の政府からも十把一絡げに扱われている命に過ぎないのだと思います。

自国の政府からは人間の盾にされるし、戦場に出ればもちろん標的です。

こういう戦争に、なぜ庶民が無抵抗なのか。考えてみれば不思議です。たぶん、構図としてはオレオレ詐欺に騙されてしまったおばあちゃんたちと同じでしょう。
端から見れば「なんで」と思うことに当事者は呑まれてしまう。

でも、自分だけじゃない、息子や娘の命がかかってもそうだというのはやっぱり不思議ではありますが。

な ぜ」への2件のフィードバック

  1. Sachie の発言:

    毎日の生活に追われていて考える時間がない、
    というか考える時間を作らないようにしているんだと思います。
    色んな不安材料、危機が目の前に集積しているけれど、
    別方向に目を向ければ、つかの間の楽しさを与えてくれる事は山ほどあります。
    一種の無意識な自己防衛的なのかなと思います。

    そんなことでは誰かさんたちの思うつぼなですが。

    そして気がついたら戦争が始まっているんだと思います。
    いや、既に水面下で始まっているのかもしれません、形はどうあれ。

    • 「何ができるのか。何をしたらよいのか」を考えます。悩んでいるといえるのかも知れません。
      批評家のように「言うだけ」とか。無策のうちに「ホラ、僕の言ってた通りになったじゃないか」と、そういうふうにはなりたくないのですが、かといって、これから「どういう生き方」をしていれば胸をはっていられるのか。そこのところは漠としています。
      いくつかの「仮説」はあるので、それを実践してみようとは思っているのですが、「仮説」以上の自信はありません。

      たぶんに「戦争」というのも20世紀型のビジネスモデルです。それを目まぐるしく情勢、国勢が変わる21世紀に適応すればどうなるのか。先進国はどこだって少子高齢化というこの状況で行えばどうなるのか。僕の、小さな仮説は間に合わないかもしれないと思っています。
      でも「私はきょう、林檎の樹を植える」と。やっぱりそれなんでしょうね。

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