山下埠頭が泣いている

きょうの昼食時、オフクロに誘われて、僕は山下町のイタリアンレストランにいました。
確かにきょうは平日です。でも、ここが観光地だとするなら寂しい限り。夏休みの親子連れがいるわけではなし、学生たちがいるわけでもありません。街はスッカスカなのです。

yamashita_pierランチを終えて、なぜかマリンタワーに上りたいというオフクロにつきあって展望塔へ。上から眺める山下公園にも見たところ10人程度の人しかおらす、僕が子どもの頃の物流拠点=山下埠頭にも船はついていないし、荷さばき場もスカスカ。かつてはこの埠頭に働く港湾労働者たちが新山下あたりの街を潤していたのですが、それも今は昔の話し。水深の浅い横浜港は船の大型化に対応できず、物流拠点は本牧ふ頭、南本牧ふ頭など、さらに外港へと移動して、合理化の流れは、そこに巨大なクレーンを残して、男たちを四散させました。

写真はマリンタワー展望塔の眼下にある山下埠頭です。どう見ても物流拠点として忙しく働いている様子はありません。横浜市役所は「ここをカジノに」という再開発プランを持っているようですが、観光客誘致の柱をアーバンデザインな景観づくりに定め、すでに30年以上、それなりの投資を行ってきてのこの「現状」。すでに「博打をかけたくなる」ような「負け」を抱えているというわけです。

この街に愛着を持つ人でもいれば、話しはまた別なんでしょうが、この街の今後を決定する権限を持つ人に、ことさらにこの街への愛着を持つ人はいませんからね。

彼らにとっては、データとしての「この街」があるだけで、バランスシートの不均衡があるなら、ただただ帳簿上の収入を増やす策を打てばよいということなのだと思います。思い入れたっぷりの地元の企業家や議員さんたちは能力や知識で彼らにかなわず、また、彼らとて、ヨコハマは金儲けするための「市場」以上の思い入れはないのかもしれません。つまり、ヨコハマという街は、誰から援護射撃してもらえるわけでもなく「なすがまま」といった状態にあるというわけです。

公共政策といっても、市民自治に起因するそれもあれば、赤字を出さずに市民を統治できればよしとする「公共政策」もありますからね。そして(切ない限りですが)統治するための「公共政策」も、誰かにとっては依然として正義です。

ヨコハマはかわいそうだな。

なんだか、山下埠頭が泣いているように見えてきました。

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