壮絶へ

たいていの大人たちが小ずるく生きているものです。家族のためにと自分をごまかしながら、人の手柄をパクッて仕事してるとか。

特に男社会ですからね。男たちがそうだと思います。

でも、そうやって生きてこれたのも、社会体制や「会社」という枠組みが盤石で、自動制御に近かったから。

会社が権限を担保してくれれば、自分に人間力がなくたってチームは編成できるし、取引先も仕入れ先も会社の看板が確保してくれる。自治体やコミュニティがしっかりしていれば、ご近所づきあいができなくても、ゴミ捨て場にゴミを持っていくだけでいい…

ただ、この状態もあと10年から、長くて15年ほど。

ルーティン・ワークがなくなる情報生産時代になれば、編成されたチームもいらないし、故に管理職もいらない。そして、自治体は1980年代から90年代に貯めた借金と、その間に行われた事業の失敗によって、機能不全に陥る…

「私」が仕事をつくり、自らチームを編成し、自分でゴミを処理しなければならなければならなくなると「小ずるくても」は、賢い生き方ではなくなります。もちろん、あからさまに「私の幸福だけを追求し、面倒事は他人に押しつけて」いる人も生き難くなるでしょう。

だって、そういう人の周囲には「人が集まらなくなる」から。

でも、このあたりの軌道修正は難しい…

なぜって、「小ずるい」にも「人の手柄をパクッてる」についても、あるいは「私の幸福だけを追求し、面倒事は他人に押しつけている」も、もう空気のようになってしまって、本人にしてみれば、まったくそんなつもりはなく生きているからです。

自覚がなければアジャストもできません。

混乱必須だし、少なくとも一時は弱肉強食状態に殺伐としてくるでしょう。

前の大戦に敗戦した直後はそうだったそうです。美輪明宏さんは、敗戦直後の経験を通して、日本人が変質したとおっしゃっていますね。

それだけ、壮絶な体験だったんでしょう。

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