仮説で終わらせないクセ

ひととおりのリハビリを終えて、街に出て(最初は50mも歩けないんですが)それなりに歩けるようになっても、僕は、しょっちゅうツマずいて、大きくバランスを崩して「コケそうになる」を繰り返していました。

何が悪くてつまずくのか。もちろん、麻痺した右脚が上手く使えなくて「右」でツマずくわけですが、何が悪いのかわからず、矯正しようがない…そういう状態がしばらく続きました。

そして、あるとき、坂道を下っているときだけはスムーズなのに気がつくわけです。当時は、平らなところを歩いているより坂道を下っているときの方がはるかに怖かったんですが、それでもツマずかない…

あれ? 何か理由がある…

そして、歩くとき右脚だけ、無意識のうちにつま先が下がっていたことに気がつくわけです。

もちろん、意識としてはつま先を下げているつもりはありませんし、下がっているという違和感を感じたこともなかったんですが、坂道を下っているときだけツマずかないといことは、考えられるのは「つま先が下がっている」ということではないか。

そして、意識して、オーバーなくらい、ふくらはぎに力を入れて、つま先を上げて歩いてみると、実際、ツマずかなくなってくるわけです。

後日、鏡の前で歩いてみると「オーバーなくらい、つま先を上げて」は自分の感覚の中の実感で、鏡の中では、ごくごくフツウに歩いていました。

(この時点で病院のクリニックも受けてみましたが、仮説はドンピシャであっていました。この「無意識につま先下がる」はご高齢の方でも問題になっているということでした)

何ごとも、主観的な感触より、客観性。「仮説を立てては実験して確認する」だなと思いました。あいまいに「麻痺が残っているんだろう」で終わりにすることもできますし、思い込みから、見当はずれな「関節の不具合」を理由にすることもできたかもしれません。

でも、自分のことでさえ、データとして突き放して、観察して仮説を立てて、そこで終わりにせず、実験して確認してみるわけです。

思い込みはフィクションの源。極端にいえば、よくツマづくのは僕が前世でなんかやった因果だと、そう思い込むことだってできるわけです。

そして、仮説と思い込みを混同しないためには、絶対に「実験をして確認してみること」です。ここを怠ると、仮説なのか、思い込みなのかがわからないうちに、思い込みに突っ走っていきます。

小保方さんの件で彼女にツッコミが入ったのも、このあたりのことですよね。年取ってから振込詐欺に遭わないためにも、今から「仮説で終わらせないクセ」を付けておいた方がいいように思います。

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