日本の城。今はたいていがコンクリート製ですが、かの姫路城や松本城、犬山城などは往時の大木造建築を今に伝えてくれています。
壮麗な木造建築についつい古代から連綿と続いた、この国の建築技術の系譜を観る思いがしますが(教科書的にいうと)、中世以降の「日本の城」は、奈良時代あたりを頂点とする建築技術が戦乱によっていったん途絶えた後に、野大工の系譜から再起動した建築技術に拠るものなのだそうです。
確かに、法隆寺、薬師寺の東塔や唐招提寺など、奈良時代の建築物に比較すれば、日本の城は力強くはあるけれど、単純だし、建物の造形も「だいたい」な気がします。それでも、凄い技能であることにかわりはありませんが、継承が一度途絶えた後に我流から始め直した技能だよといわれれば、そうかもしれないと頷けるところもあるように思います。
ベトナムでも、あの戦乱によって、宮廷音楽や織物などには消えてしまった技能もあるのだといいます。技能は譜面などのようにモノとして残せるものでもありませんし、映像でもパーフェクトに残せるものではありません。
人で繋いでいくしかないものです。
建築技術はいったん途絶えてしまったのかもしれませんが、江戸時代以降の400年以上、国を二分するような内乱や不安定な戦乱状態になることがなかったために、様々な工芸技術、技能を育てることができました。
クール・ジャパンも400年の賜物です。
僕らに、この賜物を消費する権利はないんでしょうし(ホントウは)繋いでいく義務があるんだと思っています。
※ 写真は、伊予松山城天守、鉄砲狭間から外を眺めた写真です。