大河ドラマ


NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」。やっぱり講談調に過ぎると思います。「八重の桜」の新島八重についてのエピソードも史実とはずいぶん違う感じに書かれていましたが「軍師官兵衛」もそんな感じです。

たぶん、多数決のマジョリティを意識するとこうなるんでしょうが、いかにも中途半端です。

マジョリティ向けなら、もっと「水戸黄門」(TBS 1964年〜2011年)的なドラマにしなければならないでしょう。そうなれ実在の人物であっても、すでにフィクションの中で拡張されてしまっているキャラクターを用いた方がいいのだと思いますし、実在の人物でなくてもいいのだと思います。

池波正太郎作品とか、荒唐無稽が魅力の山田風太郎作品を、なんで「大河」にしちゃいけないんでしょう。歌舞伎に原作を求めてもいいんじゃないでしょうか。

経済や生活レベルの「二極化」とは別に、求める文化や芸術、生活文化、食の嗜好などにも「二極化」の傾向はあって、受信料を支払う過半数、地上波のTVのCMで消費行動を決してくれるようなマジョリティは、大河ドラマ「平清盛」的な世界観やリアリティを求めてはいないのだと思います。

製作者や企画者は、往々にして、こうしたマジョリティに属する人々ではないものです。

でも、そういうことを自覚するのは難しい。

そして、さらに難しいのは、大河ドラマが歴史上の実在人物をダイナミックレンジ豊かに描くという「これまで」を見直すということでしょう。

僕が子どもの頃は「講談調」に違和感を持つことはができるのはホントに少数でしたし、歴史学でさえ表層的な真実しか探り当てることはできていませんでした。僕が子どもの頃は足利尊氏像だとされていた武者絵が、実は高師直だったなど、誤認もずいぶんありました。

でも現在は、曲がりなりにも半分近くが大学に進学し、研究成果もタイムラグなく巷に出回ります。

つまり、歴史好きという少数はどんどんと歴史上の人物像を上書きし、講談調に違和感を感じるようになる…

ただし、彼らは少数。そして、始末の悪いことに無視することができないほどには「群」として存在している。

今後も、マジョリティの意向を加味して大河ドラマを制作していくのなら、もっと大胆にフィクションに徹していくべきでしょう。

同じ織田信長を描くにも大河では「信長の野望」的な作品。少数派には、深夜枠やBSで別の作品シリーズを展開と…

そういうメリハリをつけた方がいいように思います。

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