Y市の橋

松本竣介は、1941年(つまり日米開戦の年)、軍部の美術界への干渉を真っ向から批判した「生きてゐる画家」という論文を発表したことで知られた人。故に戦争画(戦場などを記録的に描く絵画。しばしば戦意高揚のためのプロパガンダのために軍部や政府の発注で描かれる)の類いは描きませんでした。

松本はくすんだ色彩で、戦時中の東京や横浜の街を描きました。下の絵は、その中の代表作「Y市の橋」です。

(同名の絵画が4作品あるうちの1作品。こればっかりは画像で話しを進めた方がよいと思うので、すみませんがGoogleの画像検索からの無断借用です。すみません。権利者の方、問題があったらご指摘ください)。

20090928_994912

この作品が描かれたのは1942年。「Y市」というのは「横浜市」。これは現在の横浜駅きた東口近くの風景です。

下の写真は一昨年(2012年)に撮影した写真です。画面左側、高速道路の橋桁の後ろに見えている水色の構造物が、松本の作品に描かれているのと同じ歩道橋です。正式の名称を「横浜駅北側内海川跨線人道橋」。1930年、当時は地下でつながってはいなかった横浜駅の西口と東口の連絡のためにつくられたトラス橋です。

Y_shi

トラス橋の手前にある緑色の橋(=月見橋)も当時からある橋。1928年の竣工ですから、これが「Y市の橋」でしょう。この写真は金港橋の上から撮ったものです。金港橋の竣工は1928年。今は拡幅されていますが位置は変わらないので、松本はここから「Y市の橋」を描いたのだと思います。

「Y市の橋」が描かれた1942年といえば日本人はまだまだ戦勝気分。たいていの人が、この風景が数年後には地獄絵に変わるとは思っても見ない頃です。その頃に、松本はこういう「Y市の橋」を描いた…きっと言いたいことはたくさんあったんでしょう。敗戦から3年。わずか36歳で亡くなった松本竣介という画家を思います。

今、人道橋の通行はかないませんが、空襲にも耐えて、よくぞ、この風景が現在に受け継がれているものだと思います。

高速道路が延伸し、スクラップ&ビルトな再開発が続いても、「街」は、案外、歴史に雄弁です。

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