共生や共存

「『違い』を越えて」とはいいますが、ホントは「越えちゃあいけない違い」もあるのだろうし、越えられない「違い」もあるのでしょう。

最近の僕らは「共生」という言葉をよく使いますが、その共生も「相手を自分のメガネでみる」を止めないと成立しません。一方の常識を他方に押し付けるだけなら、それは「統一」への道ではあっても「共生」や「共存」の道ではないからです。

もちろん「認められないこと」はあるでしょう。相手が「間違っている」と思うこともある。

だからって滅ぼしてはいけない…警告はするが、あとは「枯れるのを待つ」くらいがちょうどいいのでしょう。

でも、原発のことは待ったナシです。一刻も早く「止める方向」に向かってアプローチをはじめるべきだと思います。だからこそ、理屈では判っていても「枯れるのを待つ」は難しいところです。

でも、相手が原発だからこそ実力行使が最悪の事態を招く可能性があります。

なぜ、ここで福島第一原発が事故を起こしたのか。僕らは、この事故だからこそ「事故収束」以外の側面からも、この事故のことを考えてみた方がいいのかもしれません。

(この星の自然が、僕らを試しているのかもしれません)

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