ちゃんと潰れる

ヨコハマの(今は旧都心)関内地区といえば「横浜の丸の内」といわれていた時代があるのですが2013年12月24日の午後2時頃、街は閑散としていて、おじいちゃんとおばちゃんばっかり。スーツ姿で仕事している(だろう)人は道ゆく人の2割程度。いつの間にやら敬老な街になっていました。

1961年生まれの僕は、少しだけ「横浜の丸の内」時代を知っていますが、実は、その頃すでに関内や野毛・伊勢佐木町あたりの凋落はとっくに始まっていました。

2011年に公開の宮崎吾朗監督の映画「コクリコ坂から」に描かれていたように、かつてはJR根岸線や東急東横線の終点は桜木町で、関内地区や伊勢佐木町へはこの2つの駅と京浜急行の日ノ出町駅から、徒歩か、市電(当時)に乗り換えるしかありませんでした。でも、そのことによって野毛や伊勢佐木町は賑わっていましたし、関内地区への徒歩導線の途中も、飲食店や喫茶店を中心に、それなりの集積がありました。

ところがJR根岸線が延伸し、市役所の目の前に関内駅ができ、根岸、磯子地区の交通利便がぐっとよくなる…このことによって桜木町駅周辺から関内地区は、空洞化していく…だから「備えなければならない」という問題を提起している提案書や調査報告書(多くは横浜市役所に拠るもの)は1960年代から発表されています。しかしながら、横浜駅西口の再開発によって誕生した大きな商業集積地に、伊勢佐木町は「神奈川県下一」の座をあっけなく奪われてゆく…僕が生まれた1961年のことです。

たぶんイセザキ・モールができたのもそういう経緯に拠るのでしょう。でも、当初こそ話題になったものの凋落傾向に歯止めをかけることは、まったくできませんでした。

そして、半世紀ほど、同じような危機感が叫ばれ続けるものの付け焼き刃的な「対策」が施されるだけで、じり貧を続けて今日にいたるといった感じです。

もう50年も月日が流れて、すでに手遅れになっちゃってるのに、まだ「大変なことになるぞ」と言っている人はいます。でも、その人だって「じゃあ、どうしたらいい?」と問われたら具体策を提案することはできない。できたといても輪郭的で概略的なコンセプトだけで、それ以上の具体性は示せないでしょう。もちろん、中には「オレのは具体的だぞ」という人もいるのですが、そういう人に限ってアイディアは小学生並み。使用されている単語も我流に過ぎてよく判らない…そんな感じのものです。

お役人はヨコハマに愛着を持ちにくい「よそ者」ばかりですから、無責任な大風呂敷か、外様な企業の利益誘導型のプランばかり。「みなとみらい」だって「みつびしみらい」って陰口叩かれてますが、確かに、周辺の消費力をみんな吸い上げて既存の商業集積地をみんな潰した感じですもんね。

僕は、これからのヨコハマにできることは「ちゃんと潰れること」だと思っています。こんなことを50年も続けてきたら、やっぱり潰れちゃうんだという「見本」になること。そして各世代の責任を明確にして、将来の人たちに役立ててもらう…

これからのヨコハマにできることはそんなことしかないと思っています。

「潰れる」っていっても、今のヨコハマが廃墟になだけです。きちんと潰れられれば、まるでオームの骸が、新しい生命の苗床になるように、多くの起業家たちにチャンスをつくっていきます。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中