異端だから「私立」

そこにとても管理が行き届いたマンションがあったとして、故に住み心地が良いかというと、むしろ、禁止事項が多くて窮屈だったりするわけです。しかも「スタンフォード監獄実験」で明らかなように、限られた空間を管理する人、その権限者はやがて理性を失って暴走しはじめ、人々に権限への服従を求めるようになります。

服従を強いるということはないまでも、共有資産としてのマンション空間を無傷で維持しようとする管理組合は、集会室などを誰にも使用させず(使用しなければ傷はつきませんからね)、自治会が積極的にコミュニティ・メイキングの活動をしようとしても付帯施設を貸してもらえず、自治会は近くの公園や公民館を借りて活動をするという事例も珍しくはありません。

あらかじめ「建物」など物理的な「空間」が定義されていて、それを維持管理する団体なり、部署を設置すると、たいていはこうなります。昔の町内会や商店会、村方の「結」なども、あくまでも人と人とのつながりの調整を行うためのもので「空間の管理」が先行するものではありませんが、この「町内会だけ」の状態の方が、人間にとっては健全なコミュニティができるのです。

今も行政で「街づくり(まちづくり)」というと、景観や空間をつくることや街路を整備することで、つまり建築や土木な仕事とカウントされています。そして彼らが主導するからこそ、街や建物には、空間を管理する部署や団体が設定されます。法律上も、それが正しいことになっています。

でも、人のつながりをつくっていくためには、それはむしろ「阻害要因」になります。

しかしながら、大学でもこうしたことについての議論はほとんど行われておらず自治体あたりになるとそうした問題意識を持っている人に会ったことすらありません。

そんな状況の中、最近の僕は「私立の街づくり」を模索していますが、つまりは「異端」なんだなーと思います。

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