始める人は始めている

AERAの2013年10月7日号(朝日新聞出版)の「日本一幸せなVERY妻」というコラムの中に、VERYでエッセイを連載中の小島慶子が短文を寄せられています。その中で、小島さんは、ちょっとでも綻びがあれば槍玉に挙がる現在を「一億総ツッコミ時代」と評されています。

近代化とともに自由な都市の気風が無化され、60年ほど前には戦時体制のなかで「非国民」にされないことにビクビクしていた経緯もあるんでしょうね。しかも、その「村八分」な雰囲気は「会社」を中心に戦後にも継承され、むしろ戦前よりもパブリック・プレッシャーは厳しくなっているのでしょう。小学校や中学校、高校でのいじめが年を追って陰湿化していき、大学や会社では「一緒に食事をする相手がおらず一人で食事を取るところを他人に見られたくない」という理由からトイレで食事をする人もいるという異常事態です(ランチメイト症候群:町沢静夫氏=精神科医の研究 2002年)。

僕は「私はフツウだ」という人も、食べていくため、社会参加のために「フツウ」を演じているんだと思っています。

ホントはみんなに個性があるんだけれど「フツウ」にしてないと社会の仲間に入れてもらえない…だから、みなさん「フツウ」をやってることに疲れてるんだと思います。そういうわけで、みなさんの息抜きの場としても「自由な都市」って必要なんですよね。「フツウ」にどうしても馴染めない人々の居場所というだけでなく「フツウ」をできる人たちがちょっと「休息」できる場所としての都市、街場…。

ところが、再開発な街やショッピング・モールなどは、これまでの日本になかったほどに「管理された空間」です。そのショッピング・モールで販促イベントやらなきゃならない担当者でさえ、自分のところの管理者に「あれしちゃいけない、これしちゃいえない」と縛られている…そして、そういう「息が詰まる」感じは日常の店舗活動や街のあり方にもちゃんとにじみ出ていて、整った街区の中で、最後は、その街を訪れてくれたお客さんまでも「異物」として排除しちゃうような、そんな街並なわけです。客観的には意識することができなくても、その街で働いていたり、訪れたりする人たちは、触感的に「窮屈さ」に気がついているでしょう。都心にも郊外にも「管理された街」は林立しましたから、その分「窮屈さ」も判りやすくなってきました。

都市までを管理しようとしてきたことの愚かさ、「異端」の居場所を奪ったことの失策…

今は、ある意味、ピークなんでしょうね。

商店街に近い場所の古い一軒家を4人で借りて、そこからみんながそれぞれのバイトに通い、土日だけ、ご近所とも連動しつつ、みんなでカレー屋さんをやる。そういう先駆例が目立ち始め、ところによってはシャッター通り商店街にも再起動の兆しも見え始めています。

いつまでもお上や大企業の言いなりにシュンとしているわけではなく、はじめる人ははじめているようです。

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