昭和17年

日米開戦が前の年の12月、そして昭和17年。

昭和16(1941)年12月に真珠湾攻撃を成功させると、その直後には当時「世界最強」とされたイギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈。アメリカ・ウエストコースト沿岸に潜水艦を展開し、昭和17(1942)年の前半までに約6万5千トン分の商船、タンカーを沈め、さらにサンタバーバラの製油所にも攻撃を加えています。そして、同年6月から9月にかけては潜水艦艦載機によるオレゴン州空爆も行っています。

東南アジアでは、昭和17年1月にはマニラを、2月にはシンガポールを占領しました。シンガポールを陥落させた山下将軍が敵将に降伏を迫った際に発したという「イエスかノーか」は当時の流行語になっていたようです(本当は新聞記者の創作)。記念切手も発行されました。

でも、昭和17年の4月。シンガポール陥落から2ヶ月、真珠湾攻撃からだって半年も経過していないうちに帝都=東京が初空襲を受けています。日本側の被害は死者87名、重軽傷者466名、家屋262戸。でも、うちのばあちゃんの記憶だとシンガポール占領のお祭り騒ぎの余韻がまだ尾を引いていて、帝都が空襲されたのに大人たちはそんなに深刻には受け止めてはいなかったらしいです。ずいぶん間抜けな話しだともいえます。

もちろん、政府のプロパガンダによって操作されていた面もあるでしょう。でも、信じきっていたことに責任はないのでしょうか。その頃の人々は翼賛体制にがんじがらめにされていたわけではなく、それなりにレクリエーションに興じるゆとりは持っていたのです。

(青木宏一郎さんの著作「軍国昭和 東京庶民の楽しみ」(中央公論社)には、靴の配給もままならなくなっていた1943(昭和18)年に、新聞が「敵前行楽は ほんとに自粛せよ」と謳わなければならないほどに、人々は花見をし、旅行に出かけ、50万人とも、それ以上ともいわれる人が登山をしていたということが書かれています)

昭和17年から3年後の昭和20年3月10日には東京大空襲です。昭和19年の後半からはすでに頻度高く東京にも空襲は行われています。

今、僕らはどうでしょう…サバイバルのため、全力で「備えている」でしょうか。自分の頭でちゃんと考えているでしょうか。真剣に振り返ってみる必要はあるようです。

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