東 京

「江戸が東京に征服された」というと、明治維新になって薩長が江戸文化を蹂躙していく感じです。でも、あれから150年近く、江戸は日本中から集まってくる精鋭たちにとっての「白いキャンバス」であり続け、破壊されるに任せてきたところがあるんだと思います。

「谷中に墓があるんだ」なんていうと、いかにも江戸に故い感じですが、考えてみれば、あそこは江戸時代までは寛永寺の境内で維新時の上野戦争の現場。今だって都営霊園が大半を占めているわけです。集まっている寺も新政府によって集められたもので、たいていは「明治以降」でしょう。

遊郭がなくなっても「そこがソープ街になっている」みたいに土地柄が無意識に継承されているところもありますが、基本的には破壊されつつ150年です。僕が知っている東京も東京ではあっても江戸ではないのでしょう。オヤジがいうように「下町を壊したのは空襲じゃなく1964年の東京オリンピックだ」とするなら、当時3歳に過ぎなかった僕が経験してきた下町は、破壊された後の下町ということになります。

オヤジの家は江戸時代から江戸にいます。その家の人々は、どういった心持ちで破壊され続ける「江戸」を眺め、そこに暮らしてきたんでしょう。

たぶん、護るべきもの、護れるものは護ってきたんだと思いますが、相手が世間様ともなればどうにもならない…そこはそれ、ずっと忍従です。

いずれにせよ「権限を持っている人」が、その土地の歴史に知識があるかどうか、寛容であるかどうかでしょう。大都市こそが、全国(場合によっては全世界)から集まってくる精鋭たちにとっての「白いキャンバス」。その精鋭たちの認識によっては、いかようにもできるのが東京であり、江戸であるわけです。

今、うちの墓の向こうにはスカイツリーがどーんとそびえ立っていますが、この風景を死んだばあちゃんだったらなんて言ったのか…でも、8代くらい前のご先祖だったら、ここに墓があること自体にびっくりしちゃうのかもしれないし、もうよく判んねーやっていう感じではあります。

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