叔父貴

叔父貴は、最後、漁船に乗っていたらしいといいます。通称「黒潮部隊」、名前だけは勇ましいその戦隊は、徴用された100トン前後のマグロ・カツオ漁船で構成され、乗組員の半分は漁師さんだったといいます。釧路漁港から北洋に出て哨戒活動などにあたっていたといいます。

哨戒活動ということは、つまり、敵艦を発見すれば無線でその旨を打電するという役割を果たすということですが、打電すれば敵艦に自分の位置を教えることになり、もとより漁船であったこともあり、ほぼ100%が撃沈されました。当初は戦隊の存在自体が秘密でしたし、逆探知を防ぐために、原則として敵艦を発見するまでは無線の使用を禁止されていましたから、多くの場合、沈没位置・日時・状況も判らないまま、行方不明に近い形で「帰ってこなかった」という記録だけが残るという形になっていたようです。

叔父貴も長く、戦死なのか、戦病死(戦場で病死すること)なのか、その扱いがあいまいだったそうで、帰ってきた骨箱には、誰のものとも知らぬズックが片方、入っていただけだったそうです(叔母は怒って、そのズックを捨ててしまったそうです)。

学業優秀、蔵前の高等工業に入学したばかりの叔父貴が、なぜ海軍に志願したのか。その経緯は誰にも判りません。銃剣術と陸戦好き、専攻=砲術学のオヤジが進んで海軍に行ったのとは違って、それは今も謎のままです。ただ、あと半年、生き延びていてくれれば戦争は終わっていた…それだけは動かし難い事実です。

絵が上手かったという叔父貴はあの時代をどう思っていたのでしょう。自分の人生をどう思っていたのでしょう。

僕はすでに叔父貴の2倍以上の年月を生きています。そして、僕は叔父貴に会ったことがありません。

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