6月23日は

1441年、足利義教は、島津氏に琉球国を与えたとされています。でも、このとき、琉球はれっきとした独立国です。

豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵したときに、島津義久は琉球に戦費の負担を求めますが、これをときの尚寧王が拒否。このことが口実にされたのか、1609年、島津氏は、徳川家康の許可を得た上で、琉球を武力で征服します。朝鮮半島への出兵以後、明は、日本との貿易を禁止していましたから、彼らは、形ばかり、琉球王朝の存在を残して、中国との貿易の窓口とし、この貿易は、後に維新を成功させる原動力となったほどの、薩摩藩の大きな財源になります(つまり、本来、琉球の人々のものだった「富」を、相当な量、搾取していたということです)。

1858年、ペリー率いる合衆国艦隊は、日本と同時に琉球を訪れました。あちらから見れば、両方ともが、同じ独立国だったからです。でも、このことを、僕は、学校で教わった記憶がありません。

明治になって、廃藩置県があり、沖縄にも「沖縄県」が置かれますが、それも軍隊を連れての強引なものでした。やがて、清国との間に、沖縄の領有権を巡って争いが起こりましたが(沖縄の地元の方の意識とは別に)、日本政府は、日清戦争勝利後、台湾までを領有することになったので、沖縄は日本領ということになりました。そして、沖縄県庁その他の役所から、地元の人々をほぼ追放し、その後、第二次大戦の敗戦に至るまで、本土からやって来た人々が、沖縄を運営することになりました。

僕は、沖縄県民の方に、誠に申し訳ないという気持ちが強く、沖縄にだけは「遊びに行く」という気分になれずにいました。

もう10年以上前の作品になりますが、NHKの連続ドラマ「ちゅらさん」の中で、主人公エリーが暮らす東京の下宿先の大家さんが、沖縄からやってきたエリーのおばあに「沖縄に来てね」と言われて、その誘いに躊躇するという場面がありました。

ところが、おばあは、笑顔で「そういう人にこそ来て欲しい」と言いい、やがては大家さんも沖縄へ、と。NHKのドラマのことですから、何らか国策的な意図があるのかもしれませんが、おばあを演じていらっしゃった平良とみさんは、民放のインタビュー番組や、その他の講演会などでも、同じようなことを言っていらっしゃいました。

現況の沖縄にとって、確かに「観光」は大きな産業軸のひとつです。基地に就業先を求めなくてもいいようになるためにも、重要な産業軸だといわれています。

故に、本土から、観光客として遊びにいって、一生懸命、お大尽遊びをしてくることは悪いことではないのかもしれません。でも、琉球の文化を土足で踏みにじるようなことはしたくはない…

そういうわけですから、まずは、沖縄のことを勉強することから始めたいと思っています。

今度の日曜日(6月23日)は沖縄慰霊の日。1945年の同日、旧帝国陸海軍の組織的な抵抗が終わったというのが、その由縁だといいます。でも、その後も残党になった日本兵から、虐殺、略奪が行われたという記録もあります。もちろん、戦闘中も、男性たちは、高齢者も少年も動員され、女学生だって動員された…動員されなかった一般の人々も、隠れていた壕から追い出されるなど、沖縄県民の4人に1名が戦闘の犠牲になりました(これは正規の軍人の方の犠牲をはるかに上回る数です)。そして、今も、日本国内にある合衆国軍の基地の75%が沖縄に集中しています。

「沖縄のために」といいつつ、まるで白人が植民地でプランテーションを経営するような事業もたくさんあります。僕と奥さんが沖縄に観光に出かけて行くことにだって、同じような危惧感があるのだと思います。

まずは、こちら側の論理で、沖縄を観ない、考えないということでしょう。だから、知りたいことも、知りたくないことも、沖縄のことをよく知ることから始めることなのでしょう。

沖縄は、琉球の人々の「国」です。

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